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ホーム >島田土木事務所 >所長のことば >「避暑地“軽井沢”」

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「避暑地“軽井沢”

 
 島田土木事務所長 渡邉 良和  

 

皆さまお元気でお過ごしでしょうか。

静岡県の各地域ではしばらくの間、まとまった降雨がなく、ここ数日の断続的な雨に農作物もほっとしている感じですが、関東地方においても最近の降水量は少なく、利根川水系で10%の取水制限が始まっています。どの地域においてもこの時季の取水制限は珍しい気がしますが、利根川水系では取水制限そのものが珍しく、11年ぶりだそうです。

9月といえば既に台風シーズンに入っていますが、今後の水事情が気になるところです。

 

この時季の軽井沢

私はこの連休中に甥の結婚式があり、9月15日~16日に長野県軽井沢に行ってきました。緑の中の教会での結婚式と、その近くの素敵なレストランでの食事会は、近年お馴染みである主要駅に近接したホテルを会場とした結婚式や披露宴とは趣が異なり、新鮮で爽やかなひとときとなりました。

そしてさらに、わずかな日数でしたが、この時季に過ごす当地はやはり“避暑地”の名にふさわしいもので、今年の夏に日常生活で体験した厳しい暑さと、それに続く残暑を十分に忘れさせてくれるものでした。

結婚式や食事会の際も、木漏れ日が形づくる木々の影や、爽やかなそよ風に心地よさを感じていましたが、その後に宿泊したクラシカルなホテルも、森の緑と花に囲まれてゆったりと過ごせる雰囲気で、秀逸なものでした。また、翌早朝は1時間ほど周囲を散歩したのですが、森の中で、それぞれが大きな敷地に建てられた別荘群にちょっぴり嫉妬を感じつつも、木々のフィトンチッドを贅沢に浴びながら、川のせせらぎをバックミュージックに従えた散策は実に快適なもので、まさに“避暑地”の意味を実感させていただきました。

 

標高と気温の関係

ところで、軽井沢はどのようにして、避暑地としての確固たる地位を築いたのでしょう。

当地が避暑地としてスタートしたのは、明治19年にカナダ生まれの宣教師が当地を訪れ、その美しい清澄な自然と気候に感嘆し、家族、友人たちにそのすばらしさを推奨しつつ、その夏に避暑に訪れたのが最初で、彼はその後、別荘を建てて、内外の知名人に軽井沢が保健と勉学の適地として紹介した(*軽井沢観光協会HPより)そうですが、やはり、避暑地の条件としては、自然の豊かさと爽やかな気温が鍵でしょう。

鍵の1つである気温の低さは、標高に関係があります。標高と気温の関係は、確か、中学校の理科の授業で勉強しましたね。覚えていますか?

標高が100m上がると、気温は約0.6度下がると言われています。その理由は、太陽が暖めた地表の熱を地表近くの大気(空気)が吸収し、暖められた空気は軽くなって上昇するのですが、空気は標高が上がるにつれて薄くなっていくため、上昇するにしたがって温度が下っていく(*気体は断熱膨張すると温度が下がります)というのが理由です。したがって、簡単に言えば、標高が1,000m程度の軽井沢の気温は、標高が100m程度の平地と比べれば5~6度低くなるので、平地で最高気温が31度の猛暑でも軽井沢では25度程度となるのです。快適ですね。

ちなみに、キリマンジャロはアフリカ中部のほぼ赤道直下にあるのですが、同じ理由で、頂上付近では雪や氷が見られます。

 

地域・人々の努力

避暑地としてのもう1つの鍵は、豊かな自然と環境です。

軽井沢が避暑地として産声を上げ、成長し、現在の地位を築くまでには、さまざまな人々の努力があったようです。

前述の軽井沢観光協会HPの紹介を、抜粋してみます。

=避暑地軽井沢の揺籃期は外人宣教師やその家族が大半であり、…彼らは軽井沢を永遠に明るく清潔で住みよい町にしようと心掛け、自ら率先し、住民たちにも…呼びかけこれを励行しました。これらの実践により、「善良な風俗を守り、清潔な環境を築こう」という高潔な精神が避暑地軽井沢の輝かしき伝統と歴史を貫く「軽井沢憲章」の根底となり、その後の幾多の困難を克服し得た礎である事は云うまでもありません。…避暑地として軽井沢は年々順調な歩みを続け、…更に大正の初期には、…大手資本の参入によって土地分譲がはじまり、…日本人避暑客が外国人を上回るようになりました。このため、避暑地軽井沢の様相は外国人先駆者たちがつくり上げてきた質素で高潔な避暑地から日本人的な華やかな別荘地へと一変し…しかし、このような著しい変容の内にも軽井沢憲章の精神を守り貫いていこうという動きが強固となり、軽井沢をこの世の聖地にしようという目的から「軽井沢避暑団」が結団設立され、その目的にそった各種の啓蒙や諸活動が展開されました。

…昭和28年には、突如として在日米軍の浅間山演習地設置問題が町当局に提示され、町では町民、別荘客に呼びかけ、県下各種団体の強力な支援のもとに演習地絶対反対の運動を展開しました。…「学問と自然を守る」運動が功を奏し、取り止めとなり目的を貫徹しました。

…軽井沢の自然を守り続けるために、昭和47年に「自然保護対策要綱」が制定され、自然保護対策や、ゴミ処理、水資源保護などの環境保全対策や、文化財保護対策の基準を示しております。…「軽井沢町民憲章」を町是として「国際親善文化観光都市」の住民にふさわしく、緑豊かな自然を愛し、世界に誇る清らかな環境と風俗を守り続け、来訪する方々を心あたたかくむかえています。=

このように見ますと、多くの人々が軽井沢を育て、守ってきた尊い歴史があり、ローマと同じく「軽井沢は1日にして成らず」ということがよくわかります。

 

今回は、プライベートで訪問した軽井沢の避暑地としての魅力と、その理由についてお話しをさせていただきました。

私は、軽井沢周辺には、随分昔の大学生時代に、ラリーというカ―スポーツの大会で訪れて林道を走行したり、そのドライビング練習のために夜間に訪れたりしましたが、当然、時間の大半は車の中から白樺の林の珍しさ、美しさを断片的に見て、わずかな感動を覚えたに過ぎず、避暑地“軽井沢”の本当の姿は知りませんでした。

 

今回の当地の訪問を通じて、すばらしい地域にはその与えられた環境や条件を活かす努力、磨き上げる努力という土台があるのだということを、改めて認識しました。私どもも、この良き手本を、管内の活性化に活かしていきたいと思います。

 

間もなく秋分の日です。早めに夏の疲れを癒し、読書の秋、味覚の秋、スポーツの秋を満喫しましょう。

それでは、次回まで、お元気でお過ごしください。

 

                                  平成24年9月19日
                                     島田土木事務所長 渡邉 良和