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更新日:平成25年2月21日
この写真は家山の天王山から撮影したものです。写真の中央左寄りには、昭和35年に完成した川根町役場の新庁舎が見えます。その右側の、少し上に小さく見えるのが、昭和32年に完成した県道藤枝天竜線駿遠橋です。駿遠橋取付道路部の拡幅に伴い、橋の左側、家山原の台地が削られています。
撮影は同年11月25日に起きた家山大火の直後で、民家も少なく、役場横から大井川鐵道家山駅に向かう道路もよく見えます。
~昭和35年の県道藤枝天竜線の様子~
ほぼ同じアングルからの現在の家山地区です。現在、駿遠橋に続く県道は桜並木に覆われていますが、この写真の時季は桜が咲いていません。家山の街に建物が林立しているのがよく分かります。川根町役場は昭和53年に議会場を増設、その後も1棟を増築し、りっぱな庁舎になりましたが、平成20年の島田市との合併に伴い、現在は市営住宅が建っています。
現在、町の中心地はぎっしりと家が立ち並んでいますが、人口は年々減少しています。
~平成25年現在の県道藤枝天竜線の様子~
当地区の国道473号は、平成5年に県道金谷中川根線から昇格したものです。写真は、昭和44年の県道金谷中川根線の様子です。この年は総選挙史上初めての年末選挙となり、せわしない時期にもかかわらず、演説を聴く住民が県道沿いに詰めかけているのが、よく分かります。。
~ 昭和44年の県道金谷中川根線の様子 ~
県道金谷中川根線は、国道473号となった現在も、川根町中心部の目抜き通りとして道路や街並みが整備され、道路案内標識や信号も整っています。
~ 平成25年現在の国道473号の様子 ~
大井川鐵道は、金谷~千頭間の大井川本線と、千頭~井川間の井川線からなっています。 同鉄道が開通する以前は、川根地方は昔から道路事情がよくなかったため、木材や川根茶などの特産物を東海道筋まで運搬するのに、大変不便な思いをしていました。 こうした中で、鉄道敷設という地域住民の願いがかなって、昭和6年に本線が開通しました。 戦後、大井川流域のダム開発に伴い、ダム建設資材運搬のため昭和24年に電化されました。
~ 昭和6年の家山駅の様子 ~
~ 昭和58年の家山橋架替工事と大井川鐵道 ~
その後、大井川水系のダムの建設が一段落してしまうと、沿線人口が少ないため輸送量が極端に減ってしまいました。
そして、これに対応するアイデアとして成果を挙げたのが、「SL列車」による観光客の誘致でした。
また、同鉄道は全国から古い形式の車両を集めて運行し、「動く鉄道博物館」としても知られているほか、ミニ列車で有名な井川線には、長島ダム建設に伴い線路が移設された区間のうちの急勾配箇所に、我が国唯一のアプト式鉄道を導入するなど、異彩を放つ存在となっています。
同鉄道は、現在では地域の観光に欠かせないものとなっていますが、それは地域の期待に応えようとする多大な企業努力に支えられているといえます。
~ 平成25年現在の家山駅の様子 ~
~ 平成25年現在の家山橋の様子 ~