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更新日:平成23年12月8日
~ 建設当時の兜堰堤 ~
明治43年8月の記録的な豪雨により、藤枝市岡部町を含む旧志太郡一帯の山地では、1,200箇所を越える山地崩壊が発生し、下流部の平野も未曾有の大災害に見舞われました。
このため、翌44年1月に、静岡県の依頼により東京大学の横山又次郎(よこやままたじろう)博士による調査が行われました。その報告によれば、「崩壊の性質は、山腹の厚い表土が水を吸って重さを増したため、斜面が平衡状態を失い大きな塊となって脱落した」というものでした。
当時の岡部町長であった桑原徳太郎(くわはらとくたろう)氏と静岡県参事員(現在の県議会議員)仁科梅太郎(にしなうめたろう)氏の働きかけにより、明治45年2月から大正3年にかけて、荒れた川原を復旧するための砂防工事が行われました。
工事は、川原の谷間に大石を台形に積み上げるというもので、やがて積んだ石の裏側へ土砂が詰まって今の形になりました。この工法は、オランダ人技師ヨハネス・デレーケが日本に伝えたもので、その形から「兜堰堤」と呼ばれています。
明治43年の豪雨による山腹崩壊を契機に静岡県が建設した空石積砂防堰堤群で、下流から上流に向かって1号、2号の順に8号堰堤まで配置されています。
正面から見た時の形状から「兜堰堤」と呼ばれており、最大規模は4号堰堤で堤長は25㍍です。明治期の構造形式を踏襲しつつ、台形越流部という近代的技術が加味されています。現在は周囲の緑が回復し、石造構造物も一体となって、渓谷の自然景観とよく馴染んでいます。
平成14年6月に、国の登録有形文化財に登録されています。
~ 1号堰堤 ~ |
~ 2号堰堤 ~ |
~ 3号堰堤 ~ |
~ 4号堰堤 ~ |
~ 5号堰堤 ~ |
~ 6号堰堤 ~ |
~ 7号堰堤 ~ |
~ 8号堰堤 ~ |
明治43年の豪雨を契機に築かれた砂防流路工で、木和田川砂防1号堰堤から8号堰堤とともに、下流域の平野部を保全する目的で作られました。
1号流路工と2号流路工がありますが、ともに最上流部の8号堰堤上流に位置しています。延長は1号流路工が70㍍、2号流路工が15㍍、ともに台形断面の石積構造物となっており、周辺の景観によく馴染んでいます。
平成14年8月に、国の登録有形文化財に登録されています。
~ 1号流路工 ~ |
~ 2号流路工 ~ |